大月空襲

遺髪塚

第二次世界大戦、太平洋戦争では、父母や妻子を措き愛別離苦の悲しみに耐えるなかで、多くの方々が堅固に富む身を散華せられました。
昭和二十年八月十三日、終戦を迎える僅か二日前。この大月市に措いても軍需工場、旧制都留中学校、都留高女学校に於いて弾丸雨飛の中で尊いいのちが失われて逝かれました。
この遺髪塚は昭和三十年八月に建立され、その当時の女学生や教職員ら二十四名の遺髪が納められています。
痛ましい記憶、悲観なる想いは幾星霜経ても絶えることが有りません。
毎年8月13日、県立都留高等学校同窓会の方々を中心として行願寺本堂にて大月空襲戦没者追悼法要を執り行います。
平静なる世に、尊い犠牲があったことを念頭に置かねばなりません。